プロフィール

住宅ローン返済についての悩みや相談は、相手が身内や友人といえども簡単に言い出せないものです。仮に相談することできたとしても住宅ローンの金額は大きくどうにかできるものではないことが多いです。
しかし、専門家への一本の電話が皆様の抱える問題解決の大きな第一歩となります。
皆様の新たな明るい未来の為に勇気を持ちご相談下さい。

藻岩山 登山‼

2018/05/03

今年の夏に長男と長女の三人で富士山に登山しようと計画を立てています。

その練習と、次男を連れていくかどうしようかと思い、判断する為に、昨日、藻岩山に次男と一緒に登りました。

慈恵会病院前から、スタートし頂上を目指しました。

いつもの「抱っこ」がどこで始まるのかとドキドキしましたが、登る前に夏に姉ちゃんと兄ちゃんと富士山に登山一緒にできるかどうか試しに登るんだということを伝えると富士山登山をしたい?と思ったのか、「抱っこ」の声は、全然出ませんでした。

しかし、登りは、やはり大変でスピードは遅く、後から来る大人に何人も先をゆづりました。

何度か休憩は取り、最後に一度、「抱っこ」の声が出ましたが、目の前に頂上の電波塔が見えたのを教えると、すぐ、凄く元気に早変わり、片道2.9KMを自分の足で1時間50分で登り切りました。

5歳にしては、今回は素晴らしく、よく頑張ったと思います。

頂上は、残念ながらPM2.5のせいで眺望はイマイチでしたが、二人で登れたことに感動しました。

しかし、帰りの下りはとても速かった。

ゆっくり下る、膝を気遣う大人をごぼう抜き、走っていくのを私も膝をカクカクさせながらついていくのがやっとでした。

帰りは、途中、ちょっと長めの休憩を一回だけ取り、登山口までの到着が1時間20分と30分も早く下りました。

 

その後、家に帰り、私は疲れ1時間ほど昼寝をしたのですが、次男は昼寝もせず騒いでいました。

恐ろしい体力です‼

これは、確かに妻も大変‼ と思います。

でも、登りは私も大変で、万が一、富士山登山の際、背負って登ることを考えると、さすがに自信が持てないので次男を連れていくかは迷います。

8月までに何度か、藻岩山で一緒に練習し、決めようと思います。

 

それにしても、次男の体力にはビックリしました‼

 

 

父への報告

2018/04/27

3月29日、長男の大学の入学式、引っ越しでの休みの際、1日多く休みを頂き、新潟に行ってきました。

 

新潟は私の父が31年前に事故で亡くなった場所です。

 

私は宮城県の田舎にある農家で育ちました。

父は厳しい家計を助けるため、私が小さい時から、土木作業員として出稼ぎにいき、家にはほとんどいませんでした。

 

私が中学3年生の12月23日、学校で授業を受けていると職員室から来た別の先生に呼ばれ、

「お父さんが怪我をし、親戚の方が迎えに来ているので今日は帰宅してください。」

といわれ、迎えに来たおじさんと自宅に帰りました。

 

そこで私が聞いたのは、

「父が現場の事故で亡くなった」

ということでした。

 

あれから、31年、ずっと心残りで訪問したいと思いつつも北海道に引っ越したことなども言い訳となり、訪問できていなかった父の亡くなった現場に家族5人で行くことができました。

母や父を迎えに行ったおじさんに聞いていたのはトンネル工事の現場とのことで、道路のトンネルとばかり思っていました。

しかし、実際は水路のトンネルで、JR東日本の首都圏の電気を確保する為に作られた信濃川沿いにある水力発電所の水路トンネルだったのです。

父が亡くなった時の年齢は42歳、現在、私が46歳、父よりも長生きできたことが何より親孝行ではと自分が親になり思いました。

 

そして、現場では私の子供たちも大きくなったことの報告と、母や妹、弟もいろいろありましたが、今はみんな、生活や仕事は楽ではないけど、結婚し、孫もそれぞれ生まれ、幸せに暮らしていますと報告してきました。

長女と長男には、お父さんが今まで育ってきたのも、おばあちゃんからもらっているお祝いやお小遣いも、おじいちゃんが命と引き換えに作ってくれたお金なんだということを伝えました。

理解してくれたかどうかはわかりませんが二人は黙って聞いていました。

 

しかし、次男のチビは、発電所の記念館で電車が走る市街地模型の中にあるトンネルで夢中になり、走り回り、遊んでました。

もちろん、まったく、わかってません‼

でも、この子が大人になるまでは「頑張らなければ‼」と無邪気な笑顔を見ながら、改めて強く思います。

 

ありがとうございました。

2018/04/16

昨日、函館に行き、金曜日にご逝去した当社部長の祖母にお線香をあげてきました。

ご遺影の前で手を合わせると、部長との今までの記憶が思い出されました。

出会いは他社にいた部長と取引したことがきっかけで、その後、数回売買を行い、ある時、契約した売買の取引の途中で一身上の都合で勤務している会社を退社すると申し出がありました。

正直なところは進行中の取引はどうなるのかとの不安もあり、一緒に食事に誘い話を聞きました。

そこでもともとまっすぐな性格に好感を持っていた私は一緒に仕事をしませんかと誘ったのです。

しかし、当社の状況はというと、創業し3期目、2期目は赤字、今期も赤字になりそうで社員を雇用できる状況ではありませんでした。一緒に仕事をしないかと誘ったものの、こんな小さい会社に来ることはないと思っていました。

しかし、数日後一緒に仕事をしたいと申し出があったのです。

びっくりし、どうしようかと思いました。

ただ、誘ったのは、私、何とかしようと入社してもらい一緒の仕事が始まりました。

当時、メイン事業の売買部門は4行あった銀行支援が2期赤字の経営状況から2行に減り、どうやって立て直していこうと悩んでいた時です。

部長もこんなに経営状況が悪いとは思ってなかったようです!

そこで売買部門を教え、部長に任せ、私は融資の必要の無い「任意売却」の確立に取り組んできたのです。

苦しい状況は数年続きましたが、現在は従業員も増加し、会社の基盤も安定してきました。

今の当社があるのは部長の存在無くして考えられません。

本当に部長に感謝しています。

また、その部長を生み、育ててくれたご両親、そのまたご母堂である「おばあさま」、お孫さんは当社において多くのお客様と会社の仲間に貢献し、活躍する素晴らしい大人に育っていますとご報告いたしました。

今の当社があるのはお孫さんのおかげです。

本当にありがとうございました、安らかにお眠りください。

心から、ご冥福をお祈りいたします。

流氷

2018/04/11

北海道に引越し、11年目が始まっています。

夏の知床、帯広、阿寒湖、摩周湖、函館、稚内、利尻・礼文、根室、北海道のほとんどに行きました。

見てなかったことが、あと一つ、それが、流氷です。

おばあちゃんも、もう70歳も半ばなので膝も悪くなり、外出もおっくうになってきました。

おばあちゃんの為にも、今年はと思い、妻と次男、おばあちゃんと4人で冬の知床、網走からガリンコ号で流氷を2月に体験してきました。

今年は流氷が多かったようで知床の海は水平線まで流氷でびっくりし衝撃を受けました。

 

また、ガリンコ号はあまりにも流氷が多ければ網走港から外海まで出れないこともあるとのことでしたが当日は通常通り外海にもいくことができ、流氷の中を船が突き進むという体験をすることができました。

会社のスタッフや地元北海道の方々の話を聞くと行く前は大したことはないのかと思っていましたが想像をはるかに超える貴重な迫力のある体験でした。

ぜひ、地元、北海道の方にも体験していない方であれば以外にお勧めだと思います。

この休みをとれたのも現場でスタッフが頑張ってくれているおかげです。

会社の仲間に、感謝します。

でも、1泊2日の道東は少しハードなスケジュールでした。

 

入学式

2018/04/02

長男の入学式に出席しました。

 

入学した大学はオープンキャンパスに行った際も感じたのですが、学生のことを本当に考えている大学だなと印象が強かったです。

オープンキャンパスは、学生が主体性を持ち、本当に楽しく学んでいるということが感じられました。

他校と比較しても、本当に違いました。

入学式の学長や偉い方々の話は、立派なことを通常通り話していましたが、学部担当教授やその他の説明が学生中心に考えられているなと感じます。

それが、学生の主体性やいきいきしている状況を作り出していると思います。

うちの長男も先輩たちのようにいきいきと勉強に励んでくれることを期待します。

 

 

それにしても東京は熱かったです。

プラス、引っ越し、買い出し等で、大変な中、ちびの抱っこ攻撃にやられました。

本当に疲れました。

 

しかし、私もまた一つ、長男の進学で人生の区切りを超えることができたと思います。

先週は体が疲れ、金銭的な不安はありますが、これからは仕事に集中し、ご相談者の役に立つことに全力を尽くしていきたいと思います。

成人式

2018/03/25

今年1月に、長女が成人式を迎えました。

長女が生まれて20年、いろいろありました。

妻の実家、福島の病院で二日間の陣痛の後、妻の体力も限界と判断し、普通分娩をあきらめ帝王切開で生まれました。

当時、私は26歳、収入も少なく、生まれてくれたうれしさよりも育てていく責任を強く感じていました。

仙台で暮らし、転勤にて盛岡へ引っ越し、また仙台へ戻り、その後、また、転勤で札幌へ。

会社員から、会社創業独立。

家族も3人から、6人に。

 

長女が生まれ、責任を重く感じ、仕事を一生懸命行ったことで今があると思います。

生まれてくれたこと、元気に育ってくれたことに感謝します。

 

また、私は仕事でほとんどいない中、育ててくれた妻には本当に感謝します。

 

長女には、将来できる家族の為、社会の為、役に立てるような大人になってくれることを期待しております。

 

娘から、手紙が届きました。

恥ずかしいですが泣きました。

卒業式

2018/03/19

長男が高校を卒業しました。

つい、この前に高校に入学したと思ったら、早いものです。

公立高校の受験に失敗し、滑り止めの私立高校に入学、大学受験には成功してほしいと思い、長女と違い、一年生から塾に私たち親の希望で通いました。

それまで、部活や勉強、いづれにしても成功体験がない長男に大学受験ではやり遂げたという達成感を味わい、人生の糧にして欲しいと思っていました。

しかし、入学して入ったサッカー部は5月で退部。

選手権を目指す仲間は志と努力、才能が違いました。

どうなるかと見守っていましたが、その後、新しいチャレンジこそはなかったように思いますが、学校には楽しそうに通っていました。

長女が大学に入学した年に長男は早めに希望を明確にできればと思い、2年生の夏にその時希望の大学のオープンキャンパスに一緒に行きました。

そのうち一校が生徒が輝いていて素晴らしかったです。

長男もそれを感じ、志望校が決まりました。

学校の進路についての面談でもその大学希望と話していたら、なんと指定校推薦があることを担任の先生が気づいてくれました。

奇跡的に成績もギリギリ条件をクリアしていました。

秋に推薦をもらい合格。

本当に3年間、よく頑張ったと思います。

妻はいつも居間で寝転がっている長男とけんかばかりなので、評価するかはわかりませんが、私は「がんばったね、とりあえず、お疲れ様」と思います。

あと4年間、彼が社会に出るまで大人になるという事のすばらしさ、責任をできる限り伝えていきたいと思います。

ふー、お金が…

がんばろ!

 

高校生の職業体験

2016/11/27

所属している札幌ポプラライオンズクラブと奉仕活動について提携している新陽高校の生徒が職業体験に来てくれました。
当社も子供たちの職業体験の受け入れは初めてだったので緊張しつつも一緒に一日を過ごしました。

午前中は私から、当社の業務や業務を行う上で大事にしている経営理念、社訓などについて説明を行い、一般に子供たちが触れることが無い不動産業について理解してくれればという思いを乗せて話しました。
来てくれた子供たちが住んでいる地域も市内の中心部と郊外の住宅地だった為、そこから住んでいる地域で立っている建物の違いは市の政策により制限され町が形成されていることやみんなが建てたい建物や土地の利用方法に応じて地区や場所によりできることできないことがあり、一般の方ではわからないことを我々不動産会社の者が調査しお客様のご希望を叶える手伝いをプロとして行うことなどを話しました。

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昼食をとり、午後は現場を見学してもらいました。
当社で行っている業務はお客様から相続や住宅ローン返済についての相談を受ける不動産コンサルティング業務と現状では劣化や汚れがひどく販売できない様な中古住宅を購入しリフォーム、商品化、販売を行う既存住宅再生事業の二本の事業がありますが、コンサルティング事業の相談者の打合せに同席さるわけにはいかないので既存住宅再生事業の現在リフォーム工事中の現場とリフォーム完成後の物件を見学してもらいました。

今回の子供たちは少しおとなしい印象の子供達で反応が少なかったのでどういう印象が残ったのかはなかなかわからなかったのですが、私は当社の仕事に誇りを持ち業務を行っております。皆様の一生の中で一番大きい買い物が住宅です。その購入のお手伝い、思わぬ状況に至ってしまった際の対処、いづれも普段コンビニに行き買い物をするように日常的に行われることではないので知識や経験が一般の皆様には不足しています。そこで我々のような専門家が皆様のパートナーとして状況に応じベストな選択を行えるように知識と経験、ノウハウの提供が必要になってくるのです。
ただ、残念ながら不動産業というのは「だまされるのではないか?」「いかつい感じの方が多い」などお客様からあまり好意的には見られないことも多い為、今回のような活動を通じ少しでも不動産業のイメージの改善にも微力ながら貢献したいと思っております。

昨年も清田区の小学校にてライオンズクラブが主催し子供達にいろいろな仕事の紹介をするグループワークを行いました。その際は、私もお手伝いとして参加したのですが、普段身内にいなければ接することが無い職業の方々にお話がきけて子供達も活発に質問を行っておりました。
業種は本当に様々で、建設会社や飲食業、不動産業、福祉事業などの経営者や医師、弁護士、司法書士、税理士、社会保険労務士などの専門家、本当にバラエティに富んでいました。
子供たちにとっても警察官やアイドル、お店などの普段から触れ合うことのできるわかりやすい仕事だけではなく、いろいろな職業に触れ合うことができるいい機会であったのではと思いました。

これからも、いろんな活動や仕事を通じこの日本をこれから背負っていく子供たちの成長に少しでも貢献できるように私も頑張ります。

栗山、夕張 見学研修

2016/11/01

先週末、所属している札幌不動産リスティング協会の研修と観楓会を兼ねて栗山と夕張に行ってきました。

まずは栗山町の小林酒造の北の錦記念館と酒蔵の見学を行いました。

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小林酒造は夕張市の炭鉱が全盛期人口11万人のお酒を一手に引き受け製造販売していたそうです。
最高従業員も150人在籍し日本酒の製造していたのですが夕張の人口も今は9000人と最盛期の10分の一以下現在は杜氏も数名で従業員も15人程度でお酒を造っているようです。
ただ、建物は最盛期のままあり、酒樽がたくさん並んでいる様子は最盛期はすごかったことを想像させられました。

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夕張市では経済産業省から近代化産業遺産に登録されている「夕張鹿鳴館」を見学しました。
敷地面積85,330平方メートルに延床1,500平方メートルの木造平屋建て、建築された大正2年当時の技術の粋を集めた北海道では珍しい本格的和風建築でした。

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この建物は北海道炭鉱汽船㈱(北炭)が全盛を極めた時代に北炭鹿ノ谷倶楽部として建設され昭和58年まで主にお客様をもてなす迎賓館のような施設として使用されていました。
過去には天皇陛下も夕張を訪れた際に鹿鳴館に宿泊しております。

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夕張市の盛衰と鹿鳴館は古いですが価値ある建物で後世に残さなければいけない遺産ではあることは見学して本当に思いました。

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その後、夕張市が破綻する原因の一つでもあった「ホテル マウントレースイ」により温泉に入り、昼食を取りました。目の前のスキー場は冬の時期バブルの時はすごかったのではと考えさせられるものがありました。
やはり、我々も短期の視点で物事を考えるだけではなく長期の視点で5年、10年先のことを考え、全てがわかるわけではありませんが仕事も進めなければと思いました。

最後はバスにて今夕張市が進めている「コンパクトシティ計画」により分譲されている住宅地の見学でした。
市の人口も最盛期の10分の一以下ですが当時の集落に少数の方がちりぢりに居住しています。
その方々の生活を維持するには水道、下水、除雪などインフラや生活に欠かせない行政のサービスが税金にて負担されています。
夕張市の破たん後、市の支出を減らすためにできるだけ住む集落をまとめることにより行政の維持費を減少させる目的で行っている計画です。
当初は反対も多数あったそうですがかかる経費の見える化や市職員の地道な説明で少しづつですが計画は進み今では全国の過疎地域のモデルとしても注目されているようです。
我々、不動産を事業として行っているものとしても将来都市部だけでの仕事だけではなく地方の維持や発展にも記述やノウハウを生かすようできることは行いたいなと思いました。
 

久しぶり‼

2016/10/19

妻の母が札幌に引越してきて1年10カ月が過ぎました。

妻の実家は福島県の南相馬市、東日本大震災により爆発した福島原発の為、立入禁止区域になり戻ることができない地域にありました。
震災後はしばらく友人も多い仙台で避難生活をしていたのですが一昨年の秋腎臓にポリープがあることが分かり良性か悪性かは精密検査が必要とのことでした。
その為、妻の兄弟は神奈川に住んでいる兄と、妻の二人。ただ兄は単身赴任で現在は名古屋に行っています。
その為、万が一の際義母のお世話は妻がするしかないとのことで札幌に引越してもらいました。
当初は本州を離れることに抵抗はあったようですが思い切って来てもらったのです。
その後、腎臓は検査の結果良性で問題はないことがわかり、ホッとしました。

そんな状況ではあったのですが義兄は義母の状況を大分気にしてはいたのですが仕事も忙しくなかなか今まで札幌に来ることができませんでした。
その義兄が先月休みが取れ札幌に来てくれたのです。

義母の顔も見て安心し、私たちも久しぶりの再会に義兄の甥姪の近況や東京に行ったうちの長女も姪たちとたまに遊んでもらっている為、そのお礼やいろいろな話に花が咲きました。

翌日、テレビで「 北の国から 」見ていた義兄は世代だったので富良野に行ってみたいとの要望もあり富良野、美瑛をドライブしました。

途中、台風により道路や橋が流された跡があり、台風の被害は甚大なことに現地で驚かされましたが目的地には無事到着し、当時撮影に使った家を見学。

最後は美瑛に行き、丘の見学と観光のコースではオーソックスなパターンではあったのですが初めてだったので喜んで頂けたのではと思います。

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最後は美瑛の丘で夕陽を見て帰りました。

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お互いに歳も取り、お腹も大きく、髪の毛も薄くなり、子供も成長、年々、状況は変わることが改めて実感ができました。
私も宮城の実家には1年以上帰っていないのでたまには時間を見て電話位はしなければな~とちょっと思いました。