父への報告
2018.04.27

3月29日、長男の大学の入学式、引っ越しでの休みの際、1日多く休みを頂き、新潟に行ってきました。

 

新潟は私の父が31年前に事故で亡くなった場所です。

 

私は宮城県の田舎にある農家で育ちました。

父は厳しい家計を助けるため、私が小さい時から、土木作業員として出稼ぎにいき、家にはほとんどいませんでした。

 

私が中学3年生の12月23日、学校で授業を受けていると職員室から来た別の先生に呼ばれ、

「お父さんが怪我をし、親戚の方が迎えに来ているので今日は帰宅してください。」

といわれ、迎えに来たおじさんと自宅に帰りました。

 

そこで私が聞いたのは、

「父が現場の事故で亡くなった」

ということでした。

 

あれから、31年、ずっと心残りで訪問したいと思いつつも北海道に引っ越したことなども言い訳となり、訪問できていなかった父の亡くなった現場に家族5人で行くことができました。

母や父を迎えに行ったおじさんに聞いていたのはトンネル工事の現場とのことで、道路のトンネルとばかり思っていました。

しかし、実際は水路のトンネルで、JR東日本の首都圏の電気を確保する為に作られた信濃川沿いにある水力発電所の水路トンネルだったのです。

父が亡くなった時の年齢は42歳、現在、私が46歳、父よりも長生きできたことが何より親孝行ではと自分が親になり思いました。

 

そして、現場では私の子供たちも大きくなったことの報告と、母や妹、弟もいろいろありましたが、今はみんな、生活や仕事は楽ではないけど、結婚し、孫もそれぞれ生まれ、幸せに暮らしていますと報告してきました。

長女と長男には、お父さんが今まで育ってきたのも、おばあちゃんからもらっているお祝いやお小遣いも、おじいちゃんが命と引き換えに作ってくれたお金なんだということを伝えました。

理解してくれたかどうかはわかりませんが二人は黙って聞いていました。

 

しかし、次男のチビは、発電所の記念館で電車が走る市街地模型の中にあるトンネルで夢中になり、走り回り、遊んでました。

もちろん、まったく、わかってません‼

でも、この子が大人になるまでは「頑張らなければ‼」と無邪気な笑顔を見ながら、改めて強く思います。