3年ぶりの実家
2015.04.04

先月、実家で私の祖父の33回忌、父の33回忌、祖母の23回忌の法事があり

地元の宮城に家族で行ってきました。(父と祖母は数年後なのですが皆様

を何度もお呼びし行うのは大変なので今回同時に行いました)

 

私の地元は東日本大震災でメディアでもよく取り上げられるようになった

宮城県の南三陸町というところです。

大震災の後、実家に帰った当時と現在の町の状況は外見ではあまり変わっ

てはいないように見えました。

無くなった市街地はそのままで現在は防潮堤の建設や土地のかさ上げなど

町の基本となるような工事が道路をダンプが行き交い盛んに行われていま

した。

 

私の実家は町の中でも山間にあり、幸いにも津波は実家の数百メートル先

でとまり被害にはあいませんでした。

しかし、田舎の為近所には親戚が多くかなり親戚の家が流されました。

法事に出席してもらったおじさん、おばさんで地元に残っている方はほと

んどがまだ仮設住宅で暮らしています。

 

まだまだ、街の復興には時間がかかるようです。

 

私の祖父が亡くなったのが小学5年生の時、その4年後に父が事故で亡くな

りました。家の中の大黒柱が次々といなくなることで家庭が騒然としてい

ったことを覚えてます。

 

父は42歳と若くして他界した為、私は何とか父よりは長生きしようと思い、

今まで過ごしてきました。一昨年、42歳を超え父よりは長生きすることが

できたのですが今回、親戚のみんなと会い改めて思ったのは私たち家族が

今あるのは父が亡くなりどうやって生きていけばわからなくなった母や祖

母を支えてくれたおじさん、おばさん、親戚のみんなのおかげだったと本

当に感じました。

 

父が亡くなった時、私が中学3年、妹が中学1年、弟はまだ小学1年生でした。

そんな私たち兄弟を心配し毎日のように顔を出してくれたおじさんや何か

あればすぐに手伝ってくれた親戚のみんなには、本当に言葉には表せない

ほど感謝しています。

 

私は地元を離れ、札幌に住んでいる為ちょくちょく顔を出し、手伝いとは

いきませんが少しでも皆の役にたてればと思っています。

 

また、今、私が社会の為にできることは仕事を通じ、ご相談頂く皆様の大

事な家族や自宅を守るお手伝いをし、少しでも皆さんの明るい将来の役に

立てればとこれからも日々精進し頑張っていきます。

 

実家前で母と私の子供、甥、姪、皆で記念写真を撮りました。

 

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